ある「支援」と「女性の貧困」と原発とフランスと

原発のこと 原発のことを考えていると、はるかに女性の方が現実をきちんととらえ、現実的に対処しようとしているし、はっきり自分の意見を貫こうとしていることに気づかざるをえない。 男どもは、逃げ腰の上に、訳のわからない数字にごまかされ、現実的?な…

女たちの活躍する社会を!

もどかしさはどこから来るか

たとえば、本文4段目 「局所的に放射線量が高い地域では、…」 の段落には、住民同士が、自分たちの責任ではない理由で、感情的な対立に追い込まれている状況が読みとれる。 なぜなのか? 理由ははっきりしているのではないだろうか? 国(と自治体)が科学…

いま、福島は・・

「福島 原発と人々」(広河隆一著)から。福島 原発と人びと (岩波新書)作者: 広河隆一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2011/08/20メディア: 新書購入: 1人 クリック: 48回この商品を含むブログ (12件) を見る ここにも、福島の人々がおかれている複雑な事…

新説?!

何を言いたいのか?わからないことは多いが、これはその代表作と言って良い。 ただ、このシリーズの記事はいつも引用しているので、これも例にならった。 注目できることは『方丈記』を仏典とした点である。新説かどうかは知らないが、なかなか、大胆な位置…

何を言いたいのか?

原発の再稼働に反対します。

政府は、福島原発事故の検証も、事故から学んだ教訓についての情報も国民の前に開示せず、 もちろん、その国民的な議論も行わず、 対策の現在進行形の情報提供も行わず、 電力需給のほんとうの数字も示さず、つまり、 3.11後なすべきなにごとも明らかにしな…

大飯原発の再稼働に反対します

大飯原発の再稼働に絶対反対します!

降誕会or花祭り

4月8日は釈迦が誕生した日として祝われる。<仏教の開祖、釈迦の生誕を祝福する仏教行事。潅仏会(かんぶつえ)仏生会(ぶっしょうえ)といい、「花祭り」は明治以降の名称。浴像会、降誕会などともいわれます。>浄土真宗でも「降誕会」として寺院で聴聞が行われ…

仏教は「入門」すれば何とかなる

行動する仏教: 法然・親鸞の教えを受けつぐ (ちくま学芸文庫)作者: 阿満利麿出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2011/08/09メディア: 文庫 クリック: 4回この商品を含むブログを見る 佐伯さんの本のまえ、とぎれとぎれに読み続けていた阿満さんの『行動する仏…

むしろ「脱・幸福論」を

本書は、このブログ、3月11日の新聞記事の紹介で取り上げていた。 私が読んだのは、3月15日で8刷。かなり売れているらしい。 もともと、「新潮45」2010年12月号〜2011年8月号に連載したものを新書にまとめたという。9章にわたってさまざまなテーマが取り上…

まず、自分の意見を言うこと

それはある意味、それにふさわしい「強さ」が必要なことなのかも知れない。しかし、それは、状況次第であろう。 人はいつでも、どこでも、自分の意見を述べる自由を持つ。基本的人権の一つだ。(蛇足に類するが、意図的に他者を傷つけようとして発言すること…

地味な話の中にほんとの実際がある

なるほどなあ、と思わせられた。体験しなければわからないことがある。そのことは肝に銘じておこう。 寺の掲示板に放射能「本日の放射線量」の計測数値が張り出されているというのは、ある種、感動的でさえある。さすがに、浄土真宗大谷(東本願寺)派だ! …

たしかに「縁」ではあるが…

まだ、書きたいことがあります。とりあえず、記事を引用しました。 「絆」は、強い結びつきであるが故に 絆という言葉が当たり前のように「必要」とされ、疑いもなく「善」であり、「美徳」であるかのように思われているらしい。いや、マスコミはこぞってそ…

「無常観」に何を期待するか

. 3月9日の朝日新聞「オピニオン」欄に、山崎正和へのインタビューが掲載された。その後半部分を紹介しながら、考えてみた。 「無常」観が、どれほどの「力」として期待されているか?という理解しがたさが残る。それは、気分を安定させるための一種のイデ…

「おためごかし」の親鸞論―知識人のいやがらせか?―

「そんなお為ごかしはもう聞きあきた」 I'm tired of hearing about how it's all for my own good. …web辞典で調べたらこうあった。 I'm とは「親鸞」ファンのことだ。 . またしても!まちがった「他力論」 つぎの新聞記事を読んでみてください。 とりわけ…

玄侑宗久さんの著『無常という力』

無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方作者: 玄侑宗久出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2011/11/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (2件) を見る 本書は、今年になって読んだ。帯の裏表紙ぶんを紹介しておこう。 玄侑宗久氏…

『方丈記』と空念仏

かつて、私はこう書いた。 ≪自力といい、他力というのは、あくまでも「われら」の浄土往生にかかる「力」なのであって、いわば「仏の力」をキー・ワードに考えるべき事柄である。誤解は、「力」を単に、人間の「努力」とか「尽力」などの「力」と混同するが…

辺野古の環境を守れ! ジュゴンを守れ!

. 普天間基地移転問題で、次のような新聞投稿記事があった。 まったく同感である。(朝日新聞2012.1.8) いっぽうで福島原発の環境破壊があり、他方、日米の国際軍事戦略にともなう環境破壊。 わたしたちは、強く NO! の声をあげたい。

誇れるほど「ほどほど」でもないが

石田衣良が、インタヴューでこんなことを言っている。 傍線部分の中で、「損を誇れる人間に」という箇所は悪くない。 損をして「誇る」のも大げさだが、いつも「損をしたくない」→「得をしたい」という生き方をしていると、なんや「金のために生きとるんかい…

「要不要」以前の問題

福島原発事故以来、明らかになってきたことは、今の技術では原子力・核エネルギーは「管理」できない、ということだ。(いや!こんなことはすでにわかっていた!それをついごまかされてきたことを真剣に反省すべきなのだが…) どんなに楽観主義的に考えよう…

親鸞を「引き倒すな」

親鸞とその「教え」、思想…を語る本や人はあいかわらず多いが、最近、どうにも魅力的でない親鸞ばかりが目立つ気がする。単なるテキストであるならばそう書けばいいのだ。 もっと魅力的に描けないのか。 そんな親鸞のどこがいい、と思って書いているのか? …

戸次公正の葬式必要論

戸次(べっき)公正の文章や講話には何度か接してきた。私なりに畏敬する人である。 彼に『意味不明でありがたいのか』という本がある。その著の中で「私の葬式必要論」というのがある。とりたてて珍しい論があるわけではない小論だが、まあ言いたいことはわ…

ほんとうに葬式はいらないか?

『葬式は要らない』のか 島田祐巳の『葬式は要らない』は2010年の初頭に出版されたらしい。私はいままで読まずにきた。 書かれていることは、葬式が必要か不要かという論議よりも、高い費用をかけた葬式への、人々の不満やそれを誘導する仏教界とか業者への…

葬式のこととか、法名のこととか

島田裕巳『戒名は、自分で決める』 島田裕巳が『葬式は、要らない』を書き、発表したころ、「孤独死」問題や、ちょうどNHKの『無縁社会』と時期が重なって、島田の本も多く読まれたらしい。 こんなふうに書いている。「ただ、果たして、たった一人で人知れず…

生きること、死ぬこと

無縁社会とは?

『[無縁社会]ー“無縁死”三万二千人の衝撃』NHK取材班 NHK取材班著『無縁社会ー“無縁死”三万二千人の衝撃』を読んだ。無縁社会とは編集家族、地域、会社などにおける人とのきずなが薄れ、孤立する人が増えている社会のこと。 現代社会のこうした一側面を、NHK…

東日本大震災からの復興

ちょっと「怖い」絆 未曾有の大震災、大津波そして福島原発事故では、大きなショックを与えられた。 さまざまな報道、情報の中で、私は強い危惧というか違和感を持つことがある。 とくに、乱発される「キーワード」の中の「絆」ということば。 これに批判的…

教団の<改革>その前提

『今、ここに生きる仏教』を読んで(その1) . 本著(対談集)の第1章「『説く仏教』から『聞く仏教へ』」をまず読んだところ。 いままでの大谷光真氏の図書よりも読みやすい感じはあるが、私が、知的な作業がしんどい状態でなかなかすすまない。 大谷氏に…

自力と他力

「他力」とは? 「他力」ということばは、しばしば仏教用語としてではなく、日常語として使われ、大きな誤解を生んできた。 ここに、親鸞を開祖とする真宗教団の本山トップである人が、次のような発言をしている(と報道されている)。 *朝日新聞 2010.12.1…