まず、自分の意見を言うこと

それはある意味、それにふさわしい「強さ」が必要なことなのかも知れない。しかし、それは、状況次第であろう。
人はいつでも、どこでも、自分の意見を述べる自由を持つ。基本的人権の一つだ。(蛇足に類するが、意図的に他者を傷つけようとして発言することは唯一の例外だが、それは別の法的な判断を必要とするだろう。)
だから「強さ」を求められるのは、ほんとは権利状況が悪いことを意味する。こちらが「強さ」があるか否か?という問題以上の根本的な問題だ。思ったことを率直に言えない状況。それは、日本社会の大きな問題だろう。
そこで、田口ランディのインタビュー記事をごらんいただきたい。

私は『被爆のマリア』以来田口ランディの1ファンでありつづけている。
しかし、記事にも紹介されている『ヒロシマナガサキ、フクシマ』を読んでなにか釈然としないものを感じた。
その後、親しい人にその本の感想も聞いた。「田口ランディらしい、言い方じゃないの?とくに問題はないんじゃないの。」と(いう意味のことを)言われた。
なるほど、そうかな、そうだよな。と思っても読み直す元気が出ない。
田口ランディ初期の小説も読む元気が出ないが、後のものにそんなことを感じたことはなかった。やや、スピリチャル傾向が気になったものもあるが、最近は、浄土真宗も勉強しているらしくその面でも興味深く読んできた。だが、この違和感は何なのか?ずっと、それを持ち越してきた。その間、田口ランディは読めなかった。
そんな中、この記事を病院の新聞で見つけて中国新聞を購読している知り合いの人に頼んで紙面をいただいたわけであった。

広島にて
被爆のマリア』の書き方には共感できた。
ヒロシマ(や、おそらくナガサキも)には、ちょっと入り込めない「なにか」があった。

私は、広島県で生まれ、もっとも身近にはいちばん上の姉が入市被爆。学徒動員(勤労奉仕?)の帰途、広島市を通り被爆した。57、8歳のとき癌で亡くなった。姉ばかり4人の末っ子の私が病気がちの母代わりに世話になり、なついた姉だった。伯父、伯母、いとこも被爆死。別の叔父、叔母ほかがケロイドを負うほどひだい被爆をした。広島県島根県あたりには被爆者やその関係者は多い。現在暮らしているこの地では、周りにもたくさんの人々がおられる。原爆は、まったく当たり前の「体験」でもある。高齢者は特に多い。今日も被爆者で癌を治療中の人や被爆した連れ合いさんを亡くされた人と同じ会にご一緒した。かなり親しい。

それでもなお、カタカナ書きのヒロシマには抵抗があった。
なにかの研修会で話した広島市内で働く私よりずっと若い人々の「被害者意識」にはうんざりさせられた経験がある。運動が単に被害者意識だけで形成されている面もあったのだ。それは、やはり「思考停止」のひとつの形だろう。
(たぶん)当事者でもない若者が、なぜ被害者そのものの物言いをするのか?立場がそうさせるのか?正義がそうせよというのか?党派性が働いているのか?…など、私たちは自問が必要である。そしてただ「加害−被害」の黒白の運動は不毛である。
田口ランディは、そうした問題性で硬直したヒロシマに敏感に反応したのだと思われた。(この項は「つづき」ますが、その際はまたタイトルを新たにします。)