ある「支援」と「女性の貧困」と原発とフランスと

原発のこと
原発のことを考えていると、はるかに女性の方が現実をきちんととらえ、現実的に対処しようとしているし、はっきり自分の意見を貫こうとしていることに気づかざるをえない。
男どもは、逃げ腰の上に、訳のわからない数字にごまかされ、現実的?な力に押し流されている。社会の意思決定を女性たちに丸投げしたくなる。そうすれば、原発なんてあっさり「ゴミ箱」行きだ。
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ハートネットTV
ETVで「こどもの貧困」と「女性の貧困」シリーズを放送している。
そのなかで、まず、子どもたちの貧困では、ある法人のパーソナルサポート活動が紹介された。

 http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2012-05/15.html

そこで、支援活動に取り組む「主役」はやはり女性たちだ。
出演している作家のあさのあつこさんも実に真摯だ。
また、女性の貧困問題では、いかに女性が社会的に疎外されているか、下層へと押しやられ、抑圧されているか。憤りをおぼえざるをえない。
このことは、日本社会の大きな損失である。男どもは、競争に明け暮れて、女たちをも競争相手だと誤認(というのもヘンか?)する。
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女性の社会的地位
フランスの大統領選挙がおわり、オランド氏が新しい大統領に就任した。
驚いたのは、大臣の半分が女性になると言う。


  ≪2012年5月18日「朝日新聞」≫

いや、驚くことはない、人間の約半分は女性なのだから、などと安易に言うなかれ。我が身に照らして、いかにそれがこの国の現実とかけ離れていることか!
わたしは、そうとうなフェミニストを自認しているが、それでもつい「驚いて」しまった。フランス全体がいいとか悪いとか言うのではない。ましてオランド大統領やその内閣がいいか悪いかなんて判断する材料もない。言いたいことは、ヨーロッパ全体についても同じことだが、もっと、日本はヨーロッパから学ぶ必要がありはしないか?という一点。アメリカや中国にばかりふりまわされていると、暴力や競争がますます激しくなるばかり…、と危惧するんです。

イギリスだって、女王なんて当たり前だし、女性首相はサッチャーが代表している。日本では、女性天皇がどうのこうの、女系天皇がああだこうだ、女性皇室はどうのこうの、そんなこと言ってる場合だろうか。(王制、天皇制の是非はともかく)
ドイツのメルケル首相は、福島原発事故を受けてあっさり脱原発に意見を変えた。真似ができるかい? 日本の男ども。

もどかしさはどこから来るか


たとえば、本文4段目
「局所的に放射線量が高い地域では、…」
の段落には、住民同士が、自分たちの責任ではない理由で、感情的な対立に追い込まれている状況が読みとれる。
なぜなのか?
理由ははっきりしているのではないだろうか?
国(と自治体)が科学的根拠をもった「避難基準」をわかりやすく示し、
東電が避難にともなうすべてを補償することを、当然だがはっきり約束することだ。
それをしないから「国や県もここから出ないでほしいと思っているようだ」と、住民が推測するという奇妙な事態がうまれている。住民には、納得できる避難の情報は伝えられていない。なぜ?
なぜ?マスコミもそれを公然と求めないのか?

いま、福島は・・

「福島 原発と人々」(広河隆一著)から。

福島 原発と人びと (岩波新書)

福島 原発と人びと (岩波新書)

 ここにも、福島の人々がおかれている複雑な事態が素描されている。

「彼女によると今、福島県には様々な立場の人がいる。不安だから逃げたいという人、放射能が怖いけれど嫌々ながら福島に残っている人、本当に大丈夫だと思っている人、そして、病気になるかもしれないけれど、ここで生きていくしかないと割り切っている人。」(p136)

こういう人々が、いや、もっと多様で複雑な人々が、不安であるが故の疑心暗鬼のなかで暮らしているに違いない。
「新しいコミュニティ」が一部ではしきりに提唱されているが、それは息が詰まりそうな日常から逃れ出したい気持ちの表現だろう。上からのコミュニティづくりとは全く異なるけれど、切実すぎて現実逃避的でさえある。
「本当に大丈夫だと思っている人」は、まずいない。比喩に過ぎないが1%から99%の範囲にまたがっているにすぎない。しかも、日々時々その%はかわる。
「ここで生きていくしかないと割り切っている人」も、状況が変われば、どのようにでも考えを変える必要に迫られるだろう。
 私自身が、いまそこにいるわけではないから、これらのことについて語るのは他人事に聞こえるだろうが、この状況はけっこう耐え難い人間関係をつくってしまうと思える。

玄侑宗久さんが書くものの背景にはいつもこんな状況がはりついているように思える。
先日、NHKTVで「滝桜」が取り上げられた番組に出演した玄侑宗久さんは、いつもより浮かない顔をしていた。
滝桜はまだ1分咲きにすぎない肌寒い夜の中継だったが、それにしても番組は安易に「復興」を語りすぎ、安易に「元気」を強調しすぎていた。ほんとうは「こんなんじゃあない」と誰が言ってもおかしくないが、寒い「美談」の中で番組はおわった。
福島の人々の「言えない」ことばたち・・・。
私(たち)が推察することを期待しないで、言いたいことをぜんぶ言ってほしいと思う。

新説?!

何を言いたいのか?わからないことは多いが、これはその代表作と言って良い。
ただ、このシリーズの記事はいつも引用しているので、これも例にならった。
注目できることは『方丈記』を仏典とした点である。新説かどうかは知らないが、なかなか、大胆な位置づけだ。

原発の再稼働に反対します。

政府は、福島原発事故の検証も、事故から学んだ教訓についての情報も国民の前に開示せず、
もちろん、その国民的な議論も行わず、
対策の現在進行形の情報提供も行わず、
電力需給のほんとうの数字も示さず、つまり、
3.11後なすべきなにごとも明らかにしないまま
原発再稼働」を無理矢理おしすすめてきました。
まだ、福島の事故は進行しているにかかわらず!です。
原発はほんとうに要るのか?」
この疑問に何も答えていない。
こんなかたちで原発を再稼働することに絶対反対です。
反対することが、せめて福島の事故被災者をはじめとするすべての被災者へのわたしの小さな答えです。
いや、日本の未来への、人類の未来への責任です。
政府はじめ関係者は、大飯原発を再稼働しないでください。

原発のウソ (扶桑社新書)

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内部被曝の真実 (幻冬舎新書)

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これらは、とても参考になった本です。