サンガとかアジールとか

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 中井久夫は「宗教と精神医学」の終わりの方に、
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「宗教家に私が期待する第1は、社会に寛容と助け合いの精神を広めてくださり、差別的なものの見方を訂正して(誰でも病になりうることは精神病でも変わらない)、社会の「精神医療温度」を二度でも三度でも上げてくださること」…

 第2に「『アジール』というか、病人の「駆け込み場所」「しばしの隠れ家」を提供してくださることである。…
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と書いていた。
 アジールは「権力」(=権力としての社会)が介入できない場で、日本史上では、戦国時代の寺内町がその役割を果たしたし、江戸時代には「権力」が認知した「駆け込み寺」がわずかな例外となった。以来、少なくとも日本仏教はアジールを形成したことはない、だろう。
 サンガ(僧伽)は原始仏教の僧侶の共同体として成立し、いまでも言葉では「サンガ」を求める仏教者もいる。これを「在家」仏教から新たに構築することも不可能ではないだろう。
 だが、教団が権力構造(そのものないしその一部)としてしか成立していない現在、はじめから新たな試みがなされないとむつかしいだろうとは思える。禅とてその例外ではない。(これについてはまた語るつもりです。)
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 寛容と助け合いの精神についていえば、現在の仏教者がいかに非寛容か。
 私などがささいな批判を行ってみれば思い知らされる。
 多くの神道も、氏子を「屈服させる」さまざまなシステムが健在である。
 これは、おそらく日本の宗教だけではなく「日本文化」全体に亘って言えることだろう。
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 中井久夫が着目しているのは、アメリカの精神科医「知られざるサリヴァン」や、アイリッシュ系のクウェーカー教徒が精神科医療史上、特筆できる治療(その施設)や看護をした、そうした歴史に可能性を見出したからなのだろう。

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

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