『精神科医がものを書くとき』中井久夫著を読みかじる

 文庫本になった『精神科医がものを書くとき』を読んでいる。
 もはや、勉強などはできもしないしする気もないので、いわば(自己)臨床的な関心で読む。
 本書は、1980年から1994年に書かれた短い文章を集めたもの。
 そのうち、今のところ次の短章に強い印象を受けた。編集順でそのタイトルを揚げると、

  〇宗教と精神医学
  〇近代精神医療のなりたち...........以上 Ⅰ
  〇統合失調症問答
  〇統合失調症についての自問自答.....以上 Ⅱ
  〇家族の方々にお伝えしたいこと
  〇ストレスをこなすこと.............以上 Ⅲ

 とくに、「家族の方々にお伝えしたいこと」と「ストレスをこなすこと」は、体験的にも「もっと早く読めれば良かった」と思わざるをえないほど「いいこと」が書いてある。ごく端的で、わかりやすく。
 そして、たぶん、これは今でも患者も家族も十分に参考にできるものだと思った。

 たとえば、「家族の方々にお伝えしたいこと」では、「順不同」で「1働くことについて」「2養生について」「3治療について」書いてある。
 その「1働くことについて」には、

 <たいていの患者は働きたくてしかたない。それができないのでつらい。
 怠け者にみえないかとびくびくしている。
 せっかく病気になったんだから楽をしましょうという患者に出会ったことがない。>

 なぜか?精神病が本人の道徳心や自立心の欠如や家族の「こころがけ」などによって起こるのではないことを理屈ではわかったつもりが、ほんとうにはわかっていないからだ。
 また、どうして働けないか?つづかないか?と問えば、「どんな病気でも疲れやすさが最後まで残る」からだ。
 ほかの病気としては当たり前の「回復」プロセスが、精神・こころの病気については除外されてしまう。

 だから「治る」ことを急ぐし、治った証拠に「ふつう」以上に働くことを求めてしまう。そうして、より悪い再発など悪循環に陥ってしまう。
 患者にとって「働く」ことが、すべての問題解決であるかに思われている現状があるではないか。
「社会復帰」「職場復帰」「再就職」etc......
 これは、私の失敗のパターンでもあった。
 そして、いまの若者たちが「脅迫」的に働こうとする姿に切ない疑念を抱く根拠でもある。

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)