生きがいとは?

前に引用した「天声人語」の記事の中で、「生きがい」について簡単な論評をします。
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「生きがい」という何かがほんとうに必要なのかどうか? 私はおおいに疑問に思う。
なぜなら「生きがい」とは何をさしていうのか? と考えたら、人それぞれ千差万別。
極端に言えば、生きている人の数だけあると言っていいぐらい多様な意義しかもたないと思うからだ。
それよりも何よりも、私自身「生きがい」をもたない。

生きる意欲
実は、私の場合、「生きる意欲」が弱まるときがある。
「生きる意欲」こそ問題なのだが、何をするにも「意欲」は不可欠とはいいながら、
そんなに簡単なことではない、そういう人間の一人なのだ。
意欲に欠ける場合の主な原因は私の場合「うつ病」(双極性だが、躁状態は短く、軽い)だ。
鬱病は「死にたくなる」症状がもっとも典型的なものだということは、言い方はいろいろあるが、
ほぼ共通した認識である。
「死にたい」と思っても、死にきれないし、自殺する「意欲」=エナジーさえ弱いので、
いまだに生きている。
そして、急いで死ななくても、やがて、病状が寛解に向かい、生きる歓びさえ戻ってくる。
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生物的に
生きる意味は「生きる」ことそれ自体だということも、いわば動物(生物)的直感でわかる。
言い換えれば、「生きる意味」なんて「生きること」のほかに、特別にあるわけではない。
それを、哲学や思想(宗教)が明解に示すことができなかったことは批判的に認識すべきだろう。

まことしやかに「生きがい」を喧伝するのではなく、
「生きがいなど(必要)ない」という視点で自分の人生を考えて見るべきだ。
そうでなければ、「生きがいがない」というマイナス思考ばかりが、余裕がない弱者を苦しめる。
およそ、マスコミとしての「・・人語」の「知識」もあの程度だし、
大学などがやる調査も、ものごとの前提について思考するわけでもないから、
いつも、現状の「常識的」(イデオロギー的)追認におわる。
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などと、思ったのでした。